The Society of OSARAGI Jiro
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●訳者アレクサンドル・アルカージェヴィチ・ドーリン
1949年生まれ。国立モスクワ大学卒業。91年より滞日、東京外語大を経て、現在、国際教養大学(所在地=秋田市)教授。

[専攻]
ロシア20世紀文学、ロシア・日本比較文化論 

[著書]
日本近代詩・現代詩に関するロシア語の著作、
および『古今和歌集』『平家物語』、谷崎潤一郎『春琴抄』『刺青』の翻訳など多数。 また、エッセイ集として『約束の地の奴隷』(亀山郁夫訳、中央公論新社、91年)。 『生贄の都モスクワ』(亀山郁夫訳、山手書房新社、93年)がある。

ロシア語版『赤穂浪士』刊行

 大佛次郎の代表作のひとつ『赤穂浪士』のロシア語版が上下二巻本として、2006年4月にサンクトペテルブルグの出版社ハイペリオン社から刊行 された。 今回の出版は、明治時代以降の優れた日本文学を海外に紹介することを目的に、02年に文化庁が開始したプロジェクト、「現代日本文学の翻訳・普及事業」(Japanese Literature Publishing Project:JLPP)の一環として実現したものである。なお、翻訳は日本文学に造詣の深いアレクサンドル・ドーリン氏によるもので、冒頭には訳者自身による序文が付されている。 なお、ロシア語版のタイトルを直訳すると「赤穂からの浪人」となるが、これでは意味が通じにくいことから、「47人の義士物語」とサブタイトルが付さ れている。 ●『赤穂浪士』について 『赤穂浪士』は言うまでもなく、元禄15年(1702年)に実際に起こった事件を題材にして小説化されたものであるが、古くから歌舞伎・文楽の演目「仮名手本忠臣蔵」、あるいは映画・テレビにおける「赤穂義士」として日本人に親しまれてきた。 大佛作品は、昭和2年(1927年)5月14日より同3年11月6日まで『東京日日新聞』に連載、同3年に三巻本として改造社より出版されたものであるが日本人にとっては馴染みの深い題材を取り上げるに当たっての決意を、大佛次郎は次のように回想している。

「赤穂浪士を新聞に書いたのは、昭和二年のことで、私が二十九歳から三十歳の時である。無名の若者に、これだけ大きい舞台を提供してくれた新聞も新聞だが、忠臣蔵と注文されて私もやりにくかった。
忠臣蔵や大石内蔵助は、当時までの日本人には、忠義の精髄と無条件で信じられていることだった。新しくそれを書く。これは既成の観念の前に脱帽するだけでは無意味のことで、苦労してまでくりかえして書くことではない。書くのなら私のものにしなければならない。そのためには、大衆の根の深い俗信に挑戦することになる。
これは新聞小説としては、その時代では危険な仕事であった。大変な冒険だったとしてもよい。まだ小説で新聞が売れると信じられていた時代だから、新聞の営業局が小説の当たりはずれに干渉する空気があった」(「赤穂浪士」、『今日の雪』光風社書店)。

 こうした理由から、著者は赤穂事件を独自の視点で読み替えた。つまり忠義の精神に則って主君の仇を討つ大石内蔵助を、幕藩体制に抗議する批判者として描いたのであった。
そしてそれを実践するに際しては、浪人・堀田隼人と盗賊・蜘蛛の陣十郎という人物を新たに造形し、事件に接触しながら事件の外にいる、つまり「見る人間」として事件を批評する立場に置きながら、見事に忠君愛国的な時代を批判したのであった。

この小説が書かれた昭和二年の三月には金融恐慌が勃発し、銀行の取り付け騒ぎによって休業する銀行が続発、各地では労働組合運動や大規模なストも行なわれた。
失業者の溢れたこの時代を、武士があぶれた元祿時代とダブらせることで、時代の気分を反映させたのである。なお、この年の7月24日には「ぼんやりした不安」を理由に芥川龍之介が自殺するという事件も起きた。
筆者自身、「(堀田隼人の)虚無的で反抗的な気質は、そのころの若い閉塞的な心境を移入したものと言ってもよい。若くて私は、明日に希望を持っていなかったし、暗い考え方ばかりで、何をする気持も動かなかった」と記している(同前書)。
●ロシア語版データ

判型= A5
頁数=上巻 544 頁、下巻 528 頁
出版社=ハイペリオン
刊行年= 2006 年 4 月
部数= 4000 部
値段= 2 巻で、およそ
500 ルーブル( 2500 円程度)

●問い合わせ
NPO 法人 日本文学出版交流センター
〒 160-0004新宿区四谷 4-3-1 ワールド四谷ビル 5F
Tel: 03-5363-1127 Fax: 03-5363-1128
http://www.j-lit.or.jp

 

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