11月  寒風

 山脈の重なる彼方に筑波山らしい峰が見えると騒ぐ声が起った。冬空が冷たく青い下に、山々がうねり、その遙かの涯に、見覚えある筑波山の尖った峰が見えた。田中隊には天狗党が筑波に屯集の最初から加わった者が幾たりか残っていた。

「なるほど、筑波が見える」

 指さして知らせ合った。自分たちの苦難の経験の振出しが、その遠い山の上からだったので、それも三月末のことだから、いまが九月の終りで、たった半年前のことなのだが[略]。

 見返りがちに、更に登って行くと、厚い森に埋まった隣の山や谷は深く下になって、あたりは葉をふるい落した冬枯れの木立しか見えない。強い風が吹いてきた。あの方角が那須野と知らされた遠い平原の空には、鉛色の雲が降りている。上は雪が降っているかも知れぬと山びとの話した凍雲がひろがって移動しているのである。

 

(『夕顔小路』 1965 年 9 月― 66 年 11 月、『毎日新聞』連載)View
10月  秋の富士

「それあさうと、三伍は何をしてゐる?」

「へい築地の異人さんの先生のところへ通つて、えげれす語とかを勉強しておいでで御座います」

「ほう、英学を勉強してをるのか、それもまた良い思案だ。よろしくいつて下さいよ。大吉の奴は、仲間と一緒に真黒になつて百姓になる修業をしてゐるんだと」

「……」

「さうさう、その内茶が売れて元手が出来たら、乳牛を買つて来て飼ふ相談も出来てゐるのだ。よくは知らぬが、牛の乳からは、いろいろのものが取れて、外国人の間で珍重してゐるとかで、それを日本人の間にひろめて見たらどうだと、仲間が云ひ出したのでね。は ははあ。何が何やら不案内で心もとないことだが、何でも、やつて見て失敗も重ねてをれば、やがて道も通ずるのだらう。今朝の富士はきれいだなあ、お露さん」

 富士はまつたく明けはなれてゐて、頂きに刷毛ではいたやうに一片の雲をのせてゐた。「やれやれ午過ぎになると風が出るな」
  と小森田は急に云ひ出した。

「あの雲が出ると、きまつて風が出るんだね。これも、近所の百姓に教はつた。永い経験から覚え込んだことだらうが、実際に、不思議なことを知つてゐるものだね」

 

(「露草」 1946 年 10 月 -12 月、『北海道新聞』連載。同作品は 10 月に未知谷より刊行される
《大佛次郎セレクション》『灰燼・露草』に収録)View
9月  残暑

 往来に出してある縁台にも移住組の家族が腰かけてゐた。荷物は地面に置いてある。金の自由になる者は大体陸路を取つたので、ここに集つたのは、女子供や年寄の足弱連れでなければ、もともと小身で旅費のことも一々考へなければ移住も出来なからうと思はれるやうな風態の人たちが多かつた。大規模の失業だつたのである。また女は無論のこと男でも生れて初めて旅へ出ると云つたやうな者が大部分なので、知つた顔を見つけると離れまいとするのも経験もなく旅嫌ひと頭から折紙のついてゐる江戸の人間らしい人情であつた。

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 お葉は東伍を追つて出て来てゐた。惣兵衛の母親は、ほかの移住者の中に入つて河岸道を急いで行く。秋晴れと云つてよい空だつたが、残暑はきびしく、橋の袂には琵琶葉湯を商つてゐるのも見えれば、麦湯の店も並んでゐる。そんな大道の店に両刀を差した客が家族連れで平気で入つてゐるのも、瓦解がなければ見られない景色だつたと言はうか? 時ならぬ儲けに、日に照りつけられ汗をかきながら景気のいいのは商人だけであつた。

 

(「灰燼」 1938 年 8 月 -39 年 5 月、『現代』連載)View
8月  

 空は如何にも高く広くて、晴れ渡つた色に流石に八月なかば過ぎの、秋近い冷やかさを目に覚えさせた。青く、実に静かに澄みわたつてゐることだ。それに何と高く見えることであらう。心細いやうに思はれる。空を見てこんな心持のしたことはない。こんなに澄んだ青い色を見たことがない。ひよつとすると、このまゝ、あたしは死ぬのではないかしら?

 いや、そんなことを考へてはいけない。まだ、あたし、死にたくない。死んぢやァつまらない。

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  死ぬかしら。死んだらもう、いろんなごたくさとも、きれいにお別れなのだ。この間中のやうな気苦労はなくなるし、さつぱりする。これからも世の中が難しくなるばかりで、そんな煩はしさがどのくらゐ起つて くるかわからないのだけれども――

 自分が、最近に何をするにもいやになつて自殺することを考へたのを、佐保子は思ひだした。それはさう空想しただけで、実現する勇気が自分にないやうに感じてゐたし、真剣にその計画を追究して行くことも考へずに、たゞ望ましい夢と信じられたのだ。偶然が、今になつて、さうなるやうにしてくれたのではなからうか?

(『白い姉』、 1931 年『東京・大阪朝日新聞』連載)View
7月  梅雨空

 その日は、梅雨の気配を見せて、強い光の陽がありながら空には鼠色の濃い雲が出てゐて、北窓だけの画室の中の光の調子も絶えず変り、滝村氏はそれに神経を悩めるらしく、幾度も筆をとめて、いやな日だなと呟いて煙草ばかりふかした。

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 鶴子が目をあげて見ると、窓の外の丘の緑が青い焔を立てて燃えてゐるやうに鮮やかだつた。丘の上には、外人の住宅の白い壁が光り、教会か学校らしい塔のある建物が見えた。その空に重く横はつてゐる黒い雲が、実に美しく明るいのだ。黒いと云ふよりも、濃い鼠色と云つた方がいいのかも知れない。元来黒い色には暗い感じが伴ふものだが、これは驚くくらゐ明るかつた。洗つたやうに新鮮な丘の緑と触れ合ってゐるせゐもあらう。この色彩の強烈なこんな景色も、生れてから初めて見たやうに新鮮な心持で眺められた。 

(「白い夜」。『その人』所収、 1941 年、博文館) View
6月  雨

 どうして今年はかう雨が多いのか。花の頃から続いてゐる鬱陶しい天気である。二日か三日の晴れ間を僅かに覗かせたかと思ふと、またじとじとと降り出して、歇むかと思へば灰色の空をじつと持たせたまま、いつの間にか煙のやうに屋根を濡らして町に降りそそぐ。暮れて来た町に、掛行燈の灯がかすみ、影は濡れた道に落ちている。

「おお、また降つて来やがつたか」

町の角にある蕎麦屋の戸口をあけて半身に覗いた男である。酔つてゐると見えて、足駄をはいた足がよろりとしたのを、

「お危なう御座います」

「はははははは」

と声高く笑つて、

「べら棒め。手前の店の酒などで、滅多に酔ふものか」

傘もなく、よろよろと雨の中へ出た姿は、身なりも立派だつたし、大小を差した男ざかりの武士だつた。

(『灰燼』1938年― 39年、『現代』連載) View
5月  イチハツ

 もう大正時代になるが、保土ヶ谷の昔の東海道筋をはさんだ農家が、カヤぶき屋根のむねに、 どこでもイチハツを植えてあって、季節が来ると花が咲いた。 アヤメがあったように私は思うのだが、それは記憶違いとして、イチハツは、 どの屋根でも薄いふじ色がかった白い花を咲かせた。

 実は私にそれを車窓から教えてくれたのは、なくなった有島武郎氏であった。 そのころ、有島さんは「或る女」を書くので円覚寺のどこかの塔頭にこもっていられた。 単行本で出すので、後編の何百枚かの原稿を来客の多い東京の家から離れて専心執筆中だったので、私とたまたま電車で一緒になった。 思い出して有島さんの人柄に敬服することの一つは、いつも三等に乗っていられたことだ。

 学生時代に私は有島さんがホイットマンの詩を読んでくださる会に、友人とよく通った。 そのせいで、駅で会って汽車も向い合って乗って行くこととなった。

(「屋根の花」 1959 年 7 月 28 日『神奈川新聞』) View
4月  京の花、江戸の花


 都の花見なら彼は知っている。江戸に来てみると桜の種類も京に多く、 それも江戸より優れて美しいと気がついた。東国はやはり武門の土地なのか、花の性質にも、 どことなく荒い趣きがあるようなのに興味を持った。

 京の花は、しっとりとしている。それに桜だけを眺めるというよりも、 ほかの樹木の色どりがあって伴奏の役をしている。「柳桜をこきまぜて」の賀茂川の春がそれならば、 嵐山の、松やその他のいろいろの木々が新芽を吹いて鬱蒼と山をつつんでいる間に、 花火のように桜を咲かせたのが、他の補色の加減か、同じ花の色でもあざやかに美しいのであった。 それにくらべると、この向島の土手は、単調に桜ばかりだと言ってよい。花の雲には違いないが、 京の花を見た目には、さかりの時から花の色が白っぽく乾いて見えるのだ。               

(『雁のたより』 1953 年 5 月― 10 月『サンデー毎日』連載)View
3月  ロシア語


 ……大学時代に政治科に籍を置いていた私は文学部に八杉教授がロシア語を教えていたのを盗聴に通った。 教科書も買い、ひと月ほど熱心に教場に出た。一ヶ月経つと、先生が指名して学生に読ませることになった。 指されてもまだ一本立で読めるものでなく、また盗聴の事実が発覚する不安があったので、聴講を断念した。 その間に覚えたのが、いくつかの単語と、甚だ、おかしい文章だが、
「スタイトリ・サバカ(犬は立っているか?)」
  と、これの返事がもう一行だけ、
「サバカ・スタイト(犬は立っている」
  これだけ一度に覚え込んでしまった。もちろん、使い道のない言い回しだし、 ロシア人を相手に言ったら正気かどうか頭を疑われることであろう。
                

(「犬がひとつ」 1958 年 12 月 9 日『西日本新聞』夕刊) View
2月  梅の花


 小四郎は、懐紙を出して刀身をぬぐって、鞘におさめた。夕あかりがさして来ている庭に風が出て、 梅の枝が揺れていた。どこかで、木戸があおられて、大きな音を立てた。突風で、晴れた空に暗い一塊の凍雲がひろがっている。 これと反対に夕日影は、見ている間に明るくなり、枝の梅の花が一つずつ冷たく光るように見える。輝きながら風に揺れている。

 小四郎は、自分が手に掛けた新吉のことを考え始めていた。

 同じ町内といってもよいほど、近くに家があり、子供だった時分から知っていた男であった。妹があって、 小四郎の母のところへ出入りしていることも、考えた。                

(『その人』 1953 年 12 月 -54 年 6 月『朝日新聞』連載)View
1月 冬あたたか


 正月に入ってから、暖い日が続いていた。夕方になると春のように靄が降りて、街を烟らせた。正月休みは閑散で、空白なものだが、 江見は若い部下が冬山やスキーに行けるように、出なくともよい病院に出るのを日課にしていた。

 病院の中に江見は、自分の部屋を持っている。二十年近く占拠したことで、 家にいるのと同じであった。客に会うのも、ここの方が多い。読みたい本もここに持込んで書棚を埋めていた。

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 日が沈んでいたが、冬のようでなく大気は暖く、夕靄が木立をつつみ、 ともり始めた街燈を滲ませている。休暇中の、大学の構内に、人影は絶えているのである。

(『冬あたたか』 1958 年 10 月― 59 年 5 月 『日本経済新聞』連載) View
12月 雪


「出掛けよう」
「内蔵助のくちびるが動いて、こういったとき、人々は立ち上がって静粛に外へ出た。 外は、明け方近い静けさに死んだように静かでいて、 月光と、これを反射して輝く白雪とがわが物顔に見えた。
 つめたい風が吹いていた。
 ただ、人々の胸も顔もこの雪の反射がしみ込んだように明るかった。 凍って堅い雪を新しいわらじで踏み、 綿を敷いたように白い地面の上に影を並べて、人々は歩いて行った。 一歩一歩に敵の屋敷は近くなる。 やがて、月明かりに黒くわだかまる表門を望み見たところで、内蔵助は立ち止って、 裏手西門へまわる部隊を振りかえった。
「では」
 月の光は明るくさえていた。                              

『赤穂浪士』( 1927 年 5 月― 28 年 11 月、『東京日々新聞』連載)View
11月 百舌


  織田上総介信長がいる清洲の城下、織田氏の菩提寺のある近くである。晩秋のよく晴れた日で、 大きな柿の木の枝に柿の実の色が美しい。其処は寺の正面に出る道を見おろしている丘の上、紅葉のきれいな林間の道は、 寺の裏門に通じている。柿の木の下には、脱穀を終った稲が束ねて積み上げてある。日あたりのよい場所で、 付近の百姓たちが出て来て、稲を処理したり、また子供たちの遊ぶ場所ともなっている。境内の森の一部が見えるだけで、 寺は見えないが、遠くはない。時おり、何処からともなく聞える百舌の声――積稲にもたれて、付近の百姓たちと、 通りがかりの旅商人が話している                               

(戯曲「若き日の信長」初演、1952年10月、歌舞伎座) View
10月 虹


 ふと見ると、山の上の空にきれいな虹が出ていました。松ばかり青いその山だけに、日が射して目に暖かく、 こんもりと明るく見えたのに、虹は大きな橋のように空にかかっていました。その大きな虹を見た時、 光寿は光太郎がどこかに無事で生きているのだと、はっきりと決めました。間違いなく生きていて、 虹の橋の片方が降りているあたりにいて、今自分が子どものことを思っているように光太郎の方でも 父親のことを思っていてくれるのだと確信をこめて思いました。脚が疲れていることも心配で悲しかったことも、 その虹の色が忘れさせてくれたようでした。日の色は山腹を降りて来て、紅葉している雑木林の上にもひろがって来ました。 雲が割れて真青な空がのぞきました。                               

(「虹の橋」、 1961 年『婦人之友』連載) View
9月 中秋の名月


「さあ、駆けてみろ、存分に」  放されて、兎はとまどいしているらしく見えたが、急に一直線に走り出した。 その他の兎が、これを追って、一度に七、八羽、飛んで行った。 「悦んでいやがる」 と、周二郎はいった。 「月がいいからなあ」 ………………………………………………………………………………………………………………………………………………
「これでいいんだよ。これでいいんだよ」  と、自分で自分の心を確かめているように思われる言葉だったが、 「奴ら、急に放されて戸惑いもしようが、なアに、……気儘で生きるに越したことはないのは、人間だけのものとは限らない。 どうにか、生きて暮して行くだろう、あいつら。……まことに好い月だねえ、お種さん」  お種は、月を仰いだ。ほんとうに暈りのない明るく輝いた秋の月であった。                               

(『幻燈』[1947-48]) View
8月 夾竹桃

 その年の京の夏は、例年よりもきびしく思われた。この七月十八日という日は、 殊に朝の内から、空は熔いた硝子を流したようにぎらぎらしていて家の中にいてさえ耐え難  い暑気の塊が京の町々に鉛の蓋のようにかぶさっているのだった。 田代重二郎を刺殺するために選ばれた見廻組の五人の猛者達は夾竹桃の花が火の舌を吐いている土塀の蔭をひろって、 黙々として歩いていた。(『鞍馬天狗余燼』)

 夾竹桃の花が、はげた土塀の屋根に暑苦しく咲いている。(『天狗廻状』)

『 鞍馬天狗余燼 』(『週刊朝日』 1927 年― 28 年)『 天狗廻状 』(『報知新聞夕刊』 1931 年― 32 年) View
7月 梅雨明けの夜空

「 橋場の清七とかいうのは?」

「御推量どおり、わたしの世を忍ぶ別の名前です」

「ではいおう。貴方はかね田の娘お照に書類を渡して仙台へやったの」

鞍馬天狗は、相手の顔を見まもりながら断定的な口調でいった。

「もしそうだったとすれば……?」

「もちろん、拙者はこれから後を追って取り戻すようにする。また……」

「それまで認めてくださるのだな。しかしそれはわたしの勝手だ。生きている限りわたしは薩長の敵だ」

「薩長の?」

あわれむように鞍馬天狗は繰り返した。

「やむを得ないことでしょう。拙者は薩摩でも長州でもないが官軍の一人だ。そのために、 是が非でも、その書類を奪い返す覚悟でいる」

鞍馬天狗は自身番小屋に戻ると、すぐと硯をかりて筆を走らせ、取り敢えず西郷吉之助にあてて今夜の経過と、 自分がこれから奥州へ向かうこととを知らせることにした。

手紙を認め終ると、見張りを他人委せにして置くことが不安になって自分も出て行った。月のない空には、 夏近い明るい光の星が我が物顔にまたたいている。昼間の暑さが漸く去って町には涼しい夜風が出ている。 まだ宵の口なので浴衣掛で外の縁台で涼んでいる者もあって、団扇が動いていた。自分などとは、まるで別世界の人々である。

『 鞍馬天狗余燼 』(『週刊朝日』 1927 年― 28 年)View
6月 五月闇

   本所も、すこし奥へ入ると、そのころはまったく寂しかった。深い藪がある。昼間でも梟が鳴いている暗い木立がある。 草の生え放題になっている空き地がある。更にはけ口を持たずに蒼黒く腐った溝がところどころに陰惨な空気を発酵している。 この雨もよいの五月闇の夜に武士が身をおどらせて飛び越えたのは、そういう溝の一つであった。
『鞍馬天狗余燼』(『週刊朝日』 1927 年― 28 年)View
5月 牡丹の園

   三人が乗り込むと、娘の、白いしなやかな腕は、水の上に滑らかに舟を送り出した。  
両岸の木立は次第に深くなる。折から雲を出て急に輝きはじめた陽射しは繁みに漉されてあおざめて見える。 そこから船は急に洞窟に入った。ひやりと水気を含んだ風が頬にあたる。あたりは薄暗くてわずかに水が光っているだけだが、 娘は巧みに竿を捌いて、乗手にすこしも不安を与えない。暗い中で静かに舳先が方向を変えたかと思うと、 たちまち洞窟の出口が舟の行く手に光を滲ませてあらわれた。  
まもなく、洞窟の闇になれた目に、眩ゆいばかりの絢爛たる眺めが忽然として目の前にひらけた。 舟の進むにつれ移って行く両岸に繚乱と咲きみだれた無数の牡丹の花が、狂い咲きの花冠を重たげにいまにも水にこぼれ落ちそうに見えたのである。
『赤穂浪士』(『東京日日新聞』1927年―28年) View
4月 花

  ちょうど見ごろというところだ。花の海の貝殻のように光って見える
(鞍馬天狗「夕立の武士」 1954 年)View
2月 暗殺否定

  私の立場は自由だ。しかし、自分の立場から、暗殺というものがどんな名義によるものでも卑怯なことだと見る。 ことに、お手前方の動機というのが、いやしいと見る。それ故お約束どおり口外せぬ代りに自分が闘うのだ。 近藤が倒されてお手前方が代って新選組の牛耳を採る。 としても、お手前がわれわれの敵で、幕府の犬だということには変わりがない。そうでしょう。
[「鞍馬天狗 雪の雲母坂(きららざか)」より。 『講談倶楽部』1935年、3月〜7月) View
1月 風貌

日本人ばなれした高い鼻筋に、くぼんでいる目が大きい。口もとも強くひき緊っている。 が、これは顔の道具立のことだが、この紳士の一番深く人に印象を与えるのは、 顔立ではなく、優しく見えるが、どことなく暗く悲しんでいるように見える深い表情であろう。 酔って笑った時も、淋しさが底に横たわっているような感じである
[『冬の紳士』より。『サンデー毎日』連載、1951年] View
12月 

美禰子は、青地にも、まだ、心持のわからない女であった。青地は、 欧羅巴に三年もいて帰って来たばかりのところだったし、 自分の不在(るす)の間に日本がすっかり変わって了ったようで、何となく、 土地に不案内な心持でいると、ホテルのダンスに友人たちと一緒に行った晩に、 偶然に美禰子が出て来て、別段誰れかが紹介したようでもなかったが、隣りの椅子に掛け、 青地たちと一緒に三鞭(シャンペン)を飲み青地とばかり四五回踊ったのである。

その晩は、クリスマスのダンスの日で客もいろいろの者が大勢来て仮装している者もあったし、 時間が遅くなってから、かなり誰れも陽気になり、 来ている者が皆親しい仲間のような気持になって了っていた。
[『樹氷』より] View
11月 

もみぢ葉の土に平たき裏表て

秋晴れの寺の裏には菜の畑

秋山の風聴き在す石仏

石仏の膝に尾花の影ありぬ

竜胆の紫残る落葉かな

人静か銀杏ひろごる地を歩む
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