太宰府に帰った梅
大佛次郎には「飛び梅」という随筆がある(『水に書く』所収)。戦時中、道真公生誕千百年とかで、太宰府天満宮と福岡日々新聞社(現在の西日本新聞社)に呼ばれて福岡へ出かけたときの話だ。
生誕記念の式典に参列したところ、大佛の席は、玉垣で囲った飛び梅に向かい合った位置にあった。式が続くあいだ飛び梅を見ていたわけだが、ふと見ると葉陰に実がひとつなっていた。紅梅の老木に実がつくとはめずらしい。彼はこう書いている。
「しかもたった一個だけなのである。私は、飛び梅が、実をつけたのは天神さまの千百年を、ことほぐためだと眺めてもいいと思った」。その実を貰い受けて鎌倉に持ち帰り、土に埋めて芽を出させたいと思いついた。すると、神主がのりとを上げているさなかに、「私の目の前で、その梅の実が枝から離れ、ぽとんと地に落ちて、すこしばかり転がってから、とまった。私が、あまり欲しいと思って睨めていたので、梅の木が知ったのか、あるいは天神さまに感応があって、お前にやるから持って帰れと言うことになったようでもあった」。
大佛は飛び梅の実を持ち帰り、大切に鉢に植えた。「飛び梅が京都を越えて遠く関東の鎌倉まで飛んだのだと思った。やがて無事に芽が出たのを知って悦んだ」。
ところで、この話には後日談がある。しばらくして旅に出て、「帰ってみると飛び梅の鉢がなくなっていた」というのだ。留守番の老人が、じっとしていられず、掃除ばかりしている性分の男で、土を捨て、鉢をきれいに洗ってしまったのだ。「飛び梅は私をからかって置いて、太宰府まで、再び飛んで帰って行ったのかも知れない」と、大佛は残念がっている。
梅の花が咲き出すと思い出すことがある。ある晩、八幡さまの境内で梅の花がほころびだしたのを見た。茶の間の食卓で先生に向かい合って報告すると、先生は「梅の花に気がついたか。大人になったのだ」と笑った。先生はよくそんな調子で、ぼくを子ども扱いしてからかったものだ。
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